スタッフブログ

アマクサンシーvoice Vol.2

皆様、こんにちは。

スタッフの赤木です。

 

先週から、天草の『人』を紹介するインタビュー企画

「アマクサンシーvoice」をスタートいたしました。

まだまだ文章をまとめる力が足りず、読みづらいかもしれませんが、よければ今後もお付き合いください。

 

第2弾となる今回は、丸尾焼の「金澤 一弘」さんにインタビューを行いました。

まずは、金澤さんについて簡単にご紹介。

・1958年、旧本渡市(現天草市)生まれ

・中学校までは、地元の小・中学校。高校からは熊本市内の高校へ

・高校では美術部

・その後20歳のときに丸尾焼を継承することなり、熊本県工業試験場 伝統工芸後継者育成事業にて陶磁製造技術を習得する。

・1981年23歳4月に「丸尾焼」5代目を継承。

・前熊本県伝統工芸協会会長、天草陶磁器の島づくり協議会会長、天草花しょうぶまつり企画委員長、天草ハイヤ参加団体連絡協議会 代表世話人、丸尾會(天草ハイヤ参加団体)會長など多くの団体や組織に携わっていらっしゃいます。

 

ここからは、インタビュー形式でご紹介いたします。

Q.「丸尾焼」5代目として継いでいらっしゃいますが、もともと決まっていたんですか。

金澤:20歳の時に親族・家族会議を行い「丸尾焼」を継承することとなりました。

技術取得のため熊本県工業試験場にて3年間修業しました。技術者(実際にモノが作れる)としての当主は私が初めてで、それまでは経営者として「丸尾焼」の運営に携わってきたようです。

丸尾焼を引き継いだときには、天草には窯元が今よりも少なく、確か6、7軒だったと思います。

当時の日本全体の傾向として一点一点、付加価値の高い作品作り。作家志向のとろこが多く、「日用的に使える日常の器を作ろう」と言うところは減りつつありました。その考え方が今の「丸尾焼」のスタイルになったと思います。

 

Q.苦労などありましたか。

苦労というより、最初は物珍しさもあり、それまでの丸尾焼の作品を作ったら売れたので、良いスタートを切ったと思っていたのですが、次の年にはあまり売れなくなった。

売れないと継続がおぼつかなくなりますから、それからは自分の「今」にマッチした作品を作るようにしました。生活や生き方の形を考え続けるという、今のスタイルはそこから来ています。

どうせ苦労するのなら、今の自分が欲しいものを作った結果として、苦労したほうが良いですからね。

 

その後、39歳で現在の広大な工房を建てられています。そして、実は「宝島」というキーワードにも深い関りが・・・・

 

というのも天草の秋の一大イベントとなっている「天草大陶磁器展」。その主催団体の会長も務める「金澤」さん。実は、当観光協会の名前にも入っている「宝島」というキーワードに関しても今回背景を教えてもらいました。

というのも、第1回目の天草大陶磁器展のポスターに入っているのが「九州の宝島・天草」というキーワード。その後、「日本の宝島・天草」に言葉が変わり、今も多く天草を紹介するキーワードや私たちのような団体の名称に多く使われています。実は私も、天草’宝島’観光協会に勤めておりながら、その事実を今回のインタビューで初めて知りました。

 

また、金澤さんは大学などで講師をつとめられており、その際天草を「宝島」と紹介されているとのこと。学生から「宝って何ですか?」とよく質問があり、そのときは

「私で言うと、例えば陶石を掘ってそれが器となり宝になる。掘らない人には分からない」

と答えているそうです。

 

 

ちなみに、現在のコロナ禍についても伺ってみました。

Q現在のコロナ禍で何か変わったことはありますか。

金澤:この40年間で一番変わったことは流通が画期的に良くなったこと。インターネットなどの発達も有り、遠く離れたことろへも情報が送れるようになった。世界は本当に狭くなったと思っていました。

コロナ禍以降、これからはもう一つの世界が重要だということに気が付いた。それは同心円状に広がるリアルな世界です。そこを再度見直す必要があるのではないか。私のところはモノを作っている。それは実際に触って初めて伝わるもの。天草に来て、見て、触れて、欲しいと感じて購入して頂く。このもう一つのことを大切にする時が来ているではないかと思っています。

また、現在様々なイベントが中止になっており、「天草大陶磁器展」についても、開催の可否について現在協議しているところです。

陶芸の島づくり協議会は「天草大陶磁器展」だけを開催していると思われがちですが、陶芸産地化へ向けて様々な取り組みを行っています。これから大陶磁器展についてもしっかりと検討していきますが、それ以外の産地化に向けての取り組みもしっかりと行っていきたい。

 

Q:最後に、金澤さんがおすすめする「天草」のスポットについて教えてください。

金澤:やっぱり海ですね。天草は五橋が掛かって以降、車での流通になってしまいました。結果として海をあまり意識しなくなりました。住民もあまり海を意識しなくなっている。車でどこへでもいけますからね。御所浦は無理だけど。。。

以前、天草下島を船で一周したことがあるのですが、いろいろな種類の海を見ることが出来て目から鱗でした。天草って50年前までは船で来るところだったんですよ。海というものを再構築・再発見できる企てができればと思っています。何も観光客だけではなく、天草の島民も天草1周を船で行えば天草の見え方が違ってくるはずです。海原に浮かぶ島 そこから考えてみる必要があると思っています。

 

ありがとうございました!

 

金澤さんのインタビューを終えて・・・・

今回、「お話きかせてください!」と相談したら、二つ返事で引き受けてくださいました。事前に質問項目を準備しておりましたが、聞いていく中でどんどん盛りあがり、結果的に2時間近くお時間いただきお話を伺いました。

その中身をすべてまとめたいのですが、なかなか私がまとめきれず、一部を今回ご紹介しております。

色んな話を聞く中で、金澤さんの口から「天草らしさ」「天草ならでは」というキーワードが随所に出てきて、今までそれを様々な形で具現化されてきたことを感じ、私自身刺激的な2時間でした。

陶芸家の方や芸術家の方は、気難しいそうなイメージがありますが(私の先入観ですが)、金澤さんはどうなのか、ぜひ皆さん直接お話しされてみてください。イメージが変わるかもです(^_^)

 

今回の「アマクサンシーvoice」は以上となります。最後までお読みいただきありがとうございました。