天草の橋

今年で開通50周年 天草五橋特集

天草五橋は、九州本土と天草をつなぐ五つの橋で、に開通しました。天草パールラインとも呼ばれており、三角から大矢野島・永浦島・大池島・前島を経て天草上島までつながっています。

国道266号線上にあり、総延長は17.4㎞。1号橋から5号橋まであり、現在は無料ですが、完成した当時は通行料がかかっていました。当時の通行料が普通乗用車で800円、軽自動車で70円であり、12歳以上の人が通行する場合も20円がかかっていました。30年で償還する予定でしたが、わずか10年(昭和50年)で無料開放されています。平日で16,000〜17,000台の通行量があったそうです。無料開放されるまでの期間をみても天草五橋の重要性がわかりますね。

そして現在、新たに自動車専用の新天門橋が建設中で、度中に完成予定です。

天草五橋の紹介

一号橋

連続トラス形式

天門橋てんもんきょう - 三角〜大矢野島間
  • 連続トラス橋(502m)
  • 中央径間300mは連続トラスとして開通当時世界第1位
  • 【MAP No.1】

二号橋

ランガートラス形式

大矢野橋おおやのばし - 大矢野島〜永浦島間
  • ランガートラス・合成桁橋(249.1m)
  • ランガートラス156mは当時日本第1位
  • 【MAP No.2】

三号橋

PCラーメン形式

中の橋なかのはし - 永浦島〜大池島間
  • スパン中央にヒンジを有するラーメン橋(361m)
  • スパン160mは当時世界第2位
  • 【MAP No.3】

四号橋

PCラーメン形式

前島橋まえじまばし - 大池島〜前島間
  • スパン中央にヒンジを有するラーメン橋(510.2m)
  • スパン146mは当時世界第4位
  • 【MAP No.4】

五号橋

パイプアーチ形式

松島橋まつしまばし - 前島〜合津間
  • パイプアーチ・合成桁橋(177.7m)
  • 本格的パイプアーチとしては日本最初
  • 【MAP No.5】

天草五橋の構造

天草五橋を渡られたことがある方はおわかりかと思いますが、橋の手前に看板があり、そちらに橋の型式が記載されています。

ですが、専門的な用語で書かれていて、どういう意味なのかがわからない……ということはありませんか?

例えば3号橋、4号橋は「スパン中央にヒンジを有するラーメン橋」なのですが、「ラーメン?」と思われた方も少なくないはず。

今回は3号橋をピックアップして構造を解説していきます。

3号橋の場合

3号橋は「スパン中央にヒンジを有するラーメン橋」となっていますので、「橋脚と橋脚の間の中央部分にヒンジ(接合部)があり、基本的には橋脚と接合部が一体となった構造」ということです。

ラーメン
橋脚と橋の部分が結合している構造(ラーメンとはドイツ語で枠組みという意味です)
ヒンジ
橋を連結している部分
スパン
橋脚と橋脚の間の長さ

橋を支えている主となる部分がどこかで名前が変わることを踏まえて、他の橋の用語だけを解説しますと、1号橋の「トラス」は、三角形の組み合わせ、2号橋の「ランガー」はトラスをアーチで補完した構造ということです。

上天草観光ガイド 大澤健二会長が語る天草五橋

大澤会長

上天草を語る上で、なくてはならない存在の大澤会長は御年82歳。今回は、天草五橋に関する様々なエピソードをお聞きしました。

五橋完成に合わせた運転免許

なんと、大澤会長は、五橋完成日()に免許を取得されたそう! この時代には、まだ免許を取る人も少なかったようで、会長は「五橋が開通したら、すぐ車に乗りたい!」との思いで早めに通い始めたとのこと。

……ですが、その想いが強い方は他にもいたようで、今では7分で行けるところを、開通当初は渋滞してしまい40分もかかってしまったとか。

島民の「命を繋ぐ橋」

「一番ありがたかったとは、息子が急病にかかったとき、橋のあったけん、命拾いしたっバイ」と語る会長。それまでは病院に行くにも船だったのですが、未熟児が生まれた場合など、船が欠航して病院に行けず、悲しい結果に終わることも多かったそう。こういった意味で、島民にとっては「命を繋ぐ橋」となったんでしょうね。

橋の恩恵は新聞配達にまで

今や早朝に届くのが当たり前の新聞も、橋がかかる前は午前8時がやっとのこと。今では4〜5時とまだ、夢を見ているうちに届くのも、この橋のお陰。

橋がなかった時代ならではのハプニング

当時、牛を前島(松島町)から伝馬船にのせて運ぶ際、波が高くて、船が揺れてしまい、牛が海に落ちたというハプニングも度々あったそう。五橋が完成したことで本当に助かっています。

天草五橋を架けた熱い男 森慈秀

森 慈秀(もり やすひで・じしゅう)

天草五橋が完成したのは、熊本県議会において最初の提言がなされてから、なんと30年も経過してからのこと。ここまで強い意志を持って、実現に向けて尽力してもらったお陰で、今の私たちの安定した暮らしがあります。上天草市には、その栄光に感謝の意を込めた銅像が建てられ、また平成16年には、「夢の懸け橋 天草五橋の情熱をかけた男 森 慈秀」としてテレビ熊本で放映されました。

さらに、上天草観光ガイドの会、大澤会長を中心に企画・制作した紙芝居は、子供たちに天草五橋の歴史を伝える上での、貴重な資料として今でも使われています。

いよいよ今年、50周年を迎える天草五橋。こうした歴史を知った上で橋を渡ると、より一層奥深い、天草の魅力としてお楽しみいただけるはずです。

略歴

  • 天草郡湯島村(現上天草市)に生まれる。
  • 湯島村の役場で働いていたが、退職後、上海に渡航し財をなす。
  • 県議会議員に当選し、天草五橋を提言する際には、家紋入りのモーニングを着用。
  • 奥さんが早くに亡くなったことをきっかけに「慈育会」を立ち上げ、お乳の出ないお母さん達に粉ミルクを配ったり、社会福祉にも取り組んだ。
  • 第2代大矢野町長として、天草五橋実現に向け、関係方面に働きかけを行う。
  • 町長の間は様々なムダを省くために、公用車は使用せず、職員が運転するバイクで移動したり、封筒は裏返して使うなど、徹底した取り組みを行った。
  • 町長3期12年間分の給与を、全て寄付した。
  • 天草五橋完成を見届けてから約7年後、83歳にて永眠。

森 国久と天草五橋

森 国久(もり くにひさ)

天草架橋が実現に向けて最初に現実味を帯び、しかも一本の橋ではなくて天草諸島を貫く五本の橋をつくろうという壮大な計画が持ち上がったのは、昭和28年(1953)のことです。そのとき、実現に向けて活躍した重要な人物は森国久(1912-1961)です。

昭和26年(1951)、森国久は天草郡樋島村の村長選に、村の若者たちの希望の星として出馬を請われ、当選した若い村長でした。全国の離島代表決起大会に乗り込み、「離島天草」の窮状を訴える熱弁をふるいました。その熱弁は聴衆の心を揺り動かし、森国久は全国の離島振興運動で頭角をあらわしていきます。また、離島振興法案の修正作業に主要メンバーとして参加し、まもなく念願の離島振興法が国会で成立しました。

まもなく森国久は離島振興対策審議会の委員に推され、離島振興予算の拡充に大きな役割を果たしました。また、会議への参加のほかに東京では天草架橋の建設をめぐる政府関係機関との交渉に力を発揮しました。

森国久自身は一足先にこの世を去りましたので、橋の姿を見届けることができませんでしたが、天草の人びとが互いに協力し懸命に努力した結果、昭和41年(1966)9月、ついに橋は完成しました。

天草の橋 番外編

大小約120の島々からなる天草。その島々は、多くの個性的な橋で繋がっています。石造り以外にも、思わず写真撮影したくなる橋など色々あるんです。

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1.天草瀬戸大橋(ループ橋) 【MAP No.6】

天草の上島と下島を結ぶ「天草瀬戸大橋」。1966年(今から49年前)に天草五橋が開通したことで、島民の生活は一変。とても便利になったけれど、それに伴って通行車両が日増しに増え、瀬戸を行き来する船の増加などで、交通は大渋滞。こういった交通量の激増とスピード化の要請にこたえて、瀬戸を大きくまたぐループ式高架橋が1974年に誕生したのです!

全長約700m、国道266号と国道324号との重用なのですが、船が下を通ることが出来るように、海面からの高さをとってあるため、こういった形になりました。

2.本渡瀬戸歩道橋(赤橋) 【MAP No.7】

『瀬戸大橋を自転車や徒歩で渡るのがとても大変』という理由から、この橋は作られたそうです。ちょうど、瀬戸大橋が完成してから、4年後の1978年(今から38年前)のことでした。赤く塗装されていることから、通称「赤橋」として、天草島民からは親しまれています。

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3.牛深ハイヤ大橋 【MAP No.8】

牛深市街と後浜新漁港を結ぶ優雅な曲線を描く全長883mの橋。世界的建築士・レンゾ・ピアノ氏によって設計されました。

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天草の代表的な石橋

祗園橋 【MAP No.9】

江戸時代以降に建造された石造桁橋では国内最大級、全国的にもまれな「多脚式」ということで、国指定重要文化財に指定されています。天草・島原の一揆で一揆勢と唐津藩の守備軍が死闘を展開した場所でもあります。石材は下浦石。

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雰囲気のある石橋

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1.施無畏橋 【MAP No.10】

もともと染岳登山口にある無畏庵の参道としてかけられたもので、石材は下浦石。明治15年に再建。

2.楠浦眼鏡橋 【MAP No.11】

アーチ型石橋としては天草最古のもので、県指定重要文化財に指定されています。石材は下浦石。に完成。

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3.無量寺参道橋 【MAP No.12】

天草・島原の一揆(1637年)の後、天草民心の安定のため建立された石橋で、天草市指定文化財に指定。幕末頃に完成と推定されています。

4.轟橋 【MAP No.13】

天草市河浦町の今田川に架かる橋。に下浦石を使って建設され、現在の姿になったのは。石橋の下に降りるところがあり、下から見ると橋がとてもきれいに見えます。

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5.志安橋 【MAP No.14】

亀川の支流・宇土川に架かる小さな石橋で、天草市指定文化財に指定されています。明治15年に完成。

6.市ノ瀬橋 【MAP No.15】

太鼓型のめがね橋。に再建されたと言われていますが、架橋当時の姿で、自動車が通る現役橋。天草市指定文化財に指定されています。

石橋に欠かせない下浦石

天草の下浦町は県内でも有数の石材業が盛んな町。

天草島内の神社の鳥居や石橋の多くは、下浦石工が製作。

長崎のグラバー園の庭園やオランダ坂の石畳などには下浦石が用いられたほどなんです。

こんなところでも使われています!!
グラバー園・オランダ坂(長崎県)
軍艦島(長崎県)

天草の橋Map

天草五橋
  • 【MAP No.1】 1号橋(天門橋)…上天草市大矢野町と宇城市を結ぶ橋(天草への玄関口)
  • 【MAP No.2】 2号橋(大矢野橋)…上天草市大矢野町
  • 【MAP No.3】 3号橋(中の橋)…上天草市大矢野町
  • 【MAP No.4】 4号橋(前島橋)…上天草市大矢野町と上天草市松島町を結ぶ
  • 【MAP No.5】 5号橋(松島橋)…上天草市松島町
天草の橋 番外編
  • 【MAP No.6】 天草瀬戸大橋(ループ橋)…上島と下島を結ぶ橋
  • 【MAP No.7】 本渡瀬戸歩道橋(赤橋)…上島と下島を結ぶ橋
  • 【MAP No.8】 牛深ハイヤ大橋…天草市牛深町3437
天草の代表的な石橋
  • 【MAP No.9】 祇園橋…天草市船之尾町
雰囲気のある石橋
  • 【MAP No.10】 施無畏橋…天草市本渡町
  • 【MAP No.11】 楠浦眼鏡橋…天草市楠浦町中原
  • 【MAP No.12】 無量寺参道橋…天草市久玉町
  • 【MAP No.13】 轟橋…天草市河浦町今田
  • 【MAP No.14】 志安橋…天草市亀場町食場
  • 【MAP No.15】 市ノ瀬橋…天草市本町大字下河内

当協会取材スタッフ

  • Otsuka
  • Yoshida
  • Shiroshita
  • Takami
  • Hamasaki
  • Inoue

あとがき

今回の取材を終えて、天草には約2,000余りの橋があることが分かりました。(熊本県や天草市調べ)

その中でも、当協会女性スタッフでミーティングを重ね、特に観光客の皆さんに観ていただきたい橋を勝手に(*^_^*)選ばせていただきました。

今回、掲載していない橋どれもこれも興味深いんですよ...だから、皆さんの気になる橋も探してみてくださいね。

そして、多くの橋で繋がっているからこそ、天草には気楽に行くことができて、島内の移動もスムーズにできるんですよ。

天草にいらっしゃる際は、『天草の橋』にも目を向けてみてくださいね(*^_^*)